電子ピアノとギターを売った話。
音楽は素晴らしいものだ、と思い買った電子ピアノとギターは、ホコリで白くなって毛が生えたようになっていた。
音楽を聴くことは、実はかなり高級なことだと思う。山の中にぽつんと置かれたとして、まず最初に人工的な音楽を聴きたい、と思うのが人の情なのではないだろうか。
仕事でまわらない頭で、YouTubeなんか見て演奏している人を見て、いいな、とその時思ったのだった。某お買い物サイトで初心者向けの楽器をサーフィンし、電子ピアノとギターを買っていた。
次第にやらなくなったのは、のめり込むという感覚に疲れてしまったからなのかもしれない。何かにのめり込めるというのを才能というならば、私には音楽を奏でる才能がなかったということになる。(というのは言い訳で、音楽を奏でることが習慣化できなかった)
部屋をどんどん整理するうちに、電子ピアノとギターの場所がだんだん憎くなっていった。これがなければ、もっと部屋が広くなるなあと。楽器が単なるスペースを取るものになった瞬間だった。
売ろう。
先日クルマを買った私は、電子ピアノとギターをクルマの荷台に悠々と積み込み、中古品店へ向かった。ギターの配線セットや、電子ピアノの折り畳める台座などが、ガチャガチャと揺れる。クルマは楽器たちの棺桶となり、最後の「騒音」を、道の凹凸とともに奏でていた。
会社終わり、夜ということもあり、閉店間際の中古品店では、やる気のないスタッフが迎えてくれた。
電子ピアノが4,000円、ギターセットが1,000円。
こんなものなのね。
「よろしかったらサインを」と言われながら、私はペンをもらってさっさとサインした。お金をもらって、私がエレベーターに乗ろうと背をむけると、楽器たちが奥の倉庫へ運び込まれていた。
スッキリしたのは事実。行きとは違ってモノがガチャガチャしない伽藍堂のクルマの中で信号が青になるのを待つ。
モノを捨てることは、可能性を捨てることでもある。
でもそれは、違う何かに集中しようとする、覚悟でもあると思う。
さあ、何に集中しよう?