黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

実家の居心地の悪さは何なのか。

 

 一人暮らしを数年前にし始め、実家に帰るのは年に数回という、イベントとなった。

 たしかに家族に顔を合わせるのはとても貴重だし、安心する時間。いっしょにテレビを見て、お雑煮を食べ、順番にお風呂に入って、寝るだけ。むしろ自動的に食事が出てきたり、お風呂が沸くのは実家ならではの生活クオリティと言える。

 

 …でもなんだろうか、この、居心地の悪さは…とお雑煮のお餅を口にして伸ばしながら、まわりにいる家族へぐるっと視線を向けてから、目を伏せるのだった。

 

 思えば、一人暮らしは、自分の生活をイチからカスタマイズしている。靴下ひとつ、タオルひとつ、家電もそうだし、掃除の行き届き具合も、食事の中身も、見たいテレビ番組も。

 気持ち的には、他人のクルマの中で車中泊している感じだ。実家はクルマとは違って、足だって伸ばせるし、お風呂だってあるのに、そんな気持ちになってしまう。

 

 一人暮らしは、基本的に自由なのだ。いつまで寝てたって、誰も何も言わない、気遣いをする必要はない。ごはんだって食べなくてもいいし、テレビだって見なくていい。

 そういう自由が、実家にはない。ある家庭ももちろんあると思う。ただ、「家族でどうしようか」というのが最優先にされる。各人の予定も、ある程度はカミングアウトしておかないと、いつ食事にするのか、などは決めることができない。

 

何食べたい?→なんでもいい

という会話ですら、めんどくさく感じる。ほんとは天ぷらが食べたいけれど、油を使うのはちょっと大変そうだよなあとか、そういう気遣いをしてしまう。

 

 気遣いをし合うのが家族であり人間なのだといわれれば、その通りなのだろうけど。

 家族の言う「ゆっくりしていきなさい」っていうのを実践するのは、なかなか難しいのではないだろーか。

 

 家族との人間関係が悪いわけじゃない。ただ、生活環境がいつもとは違うところで寝食を共にすることは、意外とストレスがかかるものだなあと。

 

 あと、久しぶりに帰ってくると、自分の居場所が当時のままじゃないときもあるから、なんか、どこにいればいいのか分からなくなるよねえ。

 

 居間で、何杯目か分からないお茶をすすりながら。