黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

「ぼっちざろっく」に良い意味で影響されたので思ったことをだらだら書いてみた。

 

 ひさびさのブログ更新はしばらく会っていなかった友達に会うような気まずさがある。まあどうでもいいですが。

 

 「ぼっちざろっく」(以下「ぼざろ」)を見た。最初は「けいおん!」とどこが違うのか見比べるために「1話だけみるか〜」くらいの気持ちだったのだけど、気がつくとすべて見終わっていた。おもしろい...というか楽しい...。

 

アニメ:見る前の予想と

 音楽がテーマの、しかもバンドが登場人物のアニメはだいたい、学園の文化祭までいろいろあって、大人になっても友達でいようね的な(偏見)そういうアニメなんだろうなあという予想でいた。

 だけど違っていた。もちろんメインキャラの面々は高校生なのだけど、通っている高校は違うし、学校が舞台でなく、ライブハウスにいることが多い。学園モノという呪縛を設定の時点である程度脱却していて、なんとなく開放感がある。学園モノの良いところは、だれしもにあった思い出と結びつけることによって感動を共有するものだけど、そもそも「ぼざろ」は【ぼっち】なのであって、学園の人間関係とは一線を画している。最初の方で主人公の後藤ひとりは学校でバンドメンバーを集めようとして失敗している。

 

ぼっちちゃん(後藤ひとり):オーバーリアクション

 オーバーリアクションといえば、いわば漫画的表現、目が点になるとか、口がかなり大きく開くとかそういうものだけど、後藤ひとりのオーバーリアクションはあらゆる表現方法パロディ的に使われており、すごい。ナメクジになったり、融解したり、急に3Dポリゴンになったり、ピカソの絵みたいになったり、フィクションだからできることを目一杯やっている。もはや生物の域を脱していて、廣井きくり(おにころをいつも飲んでる先輩)のライブに行ったときなんか、変な波長が出た背景に取り残される後藤ひとりの場面なんかがあり、リアクションを見るだけでもかなりおもしろい。押し入れの中で自己嫌悪して頭を打ち付けるシーンなど、あるあるな気持ちを(かなり)オーバーにリアクションしている。

 

カメラワーク:ライブシーン

 これは音楽というかバンドに詳しい人が見ればまた違うんだろうけど、私は「リアルだな」と思った。3DCGを使ったアニメは変な人形劇みたいで私はあんまり好きじゃないのだけど、「ぼざろ」のライブシーンは良かった。カメラの切り替えがしっくり来たんだと思う。言語化するのが難しいのだけど、定点カメラでずーっと撮っているような3DCGあるあるではなくて、後藤ひとり目線でギター が写っていたり、ペットボトルの水が音の振動で揺れていたり、「覚醒」シーンで後藤ひとりが足をふんばるカットの疾走感なんかは、とてもイイ。

 これまでは観客側からの視点が多かったいわゆるライブシーンだけど、「ぼざろ」では舞台からの視点が多くてよかった。最終話で舞台のすぐ側で応援する準メインキャラなんかは見下ろされるシーンとして描かれている。

 

肯定:「ぼっち(孤独)であったことは、悪くない」

 人間関係やコミニュケーションが重要視される世の中では、ぼっちという状態は大変つらい。主人公の後藤ひとりであっても高校では友達を作るんだとがんばるように、ぼっちを現状肯定しているわけではない。ライブハウスでの接客では後藤ひとりは人生で体験したことのない疲労感と絶望感を味わうのだけど、登場人物が取り囲む中でぼっちという状態は過去の状態になっていて、メンタルがぼっちのままなだけだった。ギター をぼっちのなかでもやり続けてきたから「結束バンド」となんだかんだ巡り合った(作り上げられた)のであって、ぼっちであった期間は無駄ではなかったんだと思う。結局結束バンドのメンバーもある程度孤独を味わってから出会ってきたのだから。孤独と音楽の話と言い換えても差し障りないと言っていいのかもしれない(音楽経験者じゃないからよく分からんけど)。

 

サブキャラ:しょうもないリアルな大人たち

 「ぼざろ」の魅力はサブキャラにもある。みんな笑っちゃうほどしょうもない。家族のはずの父親は母親は後藤ひとりに友達ができたことを全然信じようとしないし、妹は辛辣なコメントばかりを後藤ひとりに浴びせる。ライブハウスのオーナーは言葉足らずで怖いし、PAさんはいつもニコニコしているけど他人に興味なさそうだし、廣井きくりはいつも酒におぼれて酔っ払っている。バンドメンバーはみんなエゴがちゃんとあるし、やりたいようにやっている。キャラというより人間に近い感覚がある。もちろん設定はあるのだけど、欠点を設定の主軸においているのはとても興味深いと思う。

 

 

まとめ:孤独なんだけど実は愉快な人たちなんだよな、私たちは

 孤独というテーマだけでブログ記事1本書けちゃうと思うのだけど、孤独って状態だから、孤独を思い出すときは大体過去になっているときが多い。それに現在進行形の孤独だった場合、ひとりの時間があるわけで、なにかをしていて良いはずなんだよね。孤独はじぶんが何をするか選べる自由な時間ともとれるわけで(超ポジティブ)。

 何かと、何かをしていれば嫌でも人と関わることになるのだし、そのときに孤独だったときに何をしていたか話せれば、それでいいと思うんだよね。

 そんなわけで、ぼっちであることはたしかに後ろめたい(さびしい)けれどこれは時間を与えられているんだと強く思うことにしました。何をするかは自分次第というわけ...。

 

 わかりやすい影響のされ方だけど、

 エレキギター 、リベンジしてみようかな。