なぜ、物語を求めるのか。読みたいのか。描こうとするのか。
こんばんは。今日は、春晴れともいうんでしょうか。
少し冷えるも、日差しのあたたかい日でした。
なぜ、人は物語を求めるのだろう?
漫画「sister.」(2019〜)を描いていると、いつもそんな気に囚(とら)われる。
こんなの描かなくたって、いい物語、感動するような物語は、世の中にいっぱいあるじゃないか。べつに私が頭をひねりながら考える必要ないじゃないか。
なぜ、人は物語を読みたがるのだろう?
本屋さんへ行けば、発行部数は落ち込んでいるものの、たくさんの本が並び、それぞれが物語を内包している。これらの本たちを買う人がいて、読む人がいる。お金を出して物語を読みたいのは、なんでなんだろう?
なぜ、人は物語を描こうとするのだろう?
これまでも、そして今も、物語は星の数ほどある。小説、映画、漫画。
もう、語り尽くされてないだろうか。自分の人生で思ったことなど、古代ローマ人なんかも考えたにちがいない、と予想することはたやすい。
A.暇だから
暇だから、なのかもしれない。ふと空白した時間に耐えられないから、何かを見ていたいのかもしれない。それは砂嵐のテレビでもかまわない。ただ、砂嵐よりもマシなだけで、本来的には暇だからなのかもしれない。
A.変化をしたいから
自分を投影したいのかもしれない。日常の変化など、少し太ったか、目が充血してるとか、今日はなんとなくダルいとかそんなものだ。悲劇の原因であるかのように人に言うことはあるけれど、それは話題として言っているだけで、望むほどの変化ではない。単調であることに耐えられないからなのかもしれない。
A.美しいものが見たいから
美しくない。見るものすべてが。決まり切った工業物と、海と山。そして人間の顔。職場。そんなものを見ていると気が滅入ってきて、何か美しいものを見たいというのもあると思う。
A.没頭したいから
「暇だから」に関連するかもしれない。自分が自分であることを忘れたくて、物語に入り込む。本気で文学部に進む連中は、こんな厭世観を持っている人が多いと思う。
A.感動したいから
感動しない毎日で、心の鐘を思いっきり叩きたいからなのかもしれない。どんな音が鳴るのか、試してみたいのかもしれない。はたして自分に感動することができるのか。
A.仕事だから
お仕事の人もいるでしょう。お疲れ様です。
この中に本当の答えはあるんでしょうか?わかりません。
ただ、「なにかを動かしたい」という欲求が働いていることは確かな気がします。
それは読み手の心なのか、劇中の登場人物なのか、はたまた自分自身なのか。