頑固であることは悪いことじゃないかもしれない。
頑固な人を見ると、頑固さをどう懐柔していこうか、けっこう考えていた。
頑固な人は、これはこうだという謎の結論を持っている。そうじゃないかもしれないという可能性が、一切見えない場合が多かった。
だけど、最近はそんなに気にしなくなった。そういうのを気にして考えるのもバカらしくなった。
大人になると、いろんな結論を見つけることになる。それは経験から得たものかもしれないし、人から聞いたものかもしれない。私にもこれはこういうものだという結論があるし、それは否定できない。
ここまで考えると、他人の結論=頑固さ だと思っている自分がいた。
大人の世界は、他人を尊重しまくる。尊敬を言葉にするし、何よりへりくだる。尊敬と謙譲というやつである。こうしておけば、とにかく相手の機嫌を損ねることがない=失礼にならない というような、処世術が身に染みている。
他人の結論は、けっこうおもしろいことが多い。なぜそう思うに至ったのか、そんなことを想像するのもおもしろいし、実際に聞いてみると経験を聞くことができる。他人の結論を聞くときは、相手にとって「聞かれたい」ことだったりする場合もある。まれに、なんとなくそういう結論になったという人もいるけれど、それは根拠がなくてダメなんじゃなくて、その人のセンスを見てみることにすれば、聞くに値するのではないか。
さて、自分にも、ゆずれない結論を持っているだろうか。意外と頑固になっていることを探すと、あんまり無かったりする。まあなんでもいいやという気持ちもあって、自分が頑固になることに疲れているだけのときもある。
そういえば某教育テレビで「がんこちゃん」という番組がやっていた。
環境汚染の影響で一部の地域を除いて地球は砂漠化し、人類は既に絶滅していた。そこではかつて人間による遺伝子操作によってつくられた高度な知能を持つ恐竜などの動物達(サソリやカタツムリ、キノコや木、あるいは河童などの架空の動物をベースにした生物もいる)が、人類に代わり、地球で文明を営んでいた。
こんな設定でピンクの恐竜がガオガオしていた番組があった。
生命的に、なんて頑固なんだろう!