とあるタクシー運転手の話
ああ、ダメだ、と思ったので、タクシーに乗った。
ひさしぶりに某武道の稽古に行ったら、仕事帰りだったこともあって、体力を使いきり、フラフラになった。
その日の夜、仕事では神経を、稽古で体力を削ったわたしは、自分の体力のなさに気付かされるとともに、はやく自宅に帰りたい思いでいっぱいだった。
稽古は夜遅くまで行い、終電で自宅に帰る。次の日も仕事なので、はやく家事を済ませて寝たいなあ、仕事かー、明日も、あー、とかぐちぐち言いながら最寄駅のホームを降りる。歩くのがもうかったるかったので、タクシーに転がりこんだ。
タクシーの運転手は、老年の、優しそうなおじいさんだった。
わたしは、疲れてもなお運転手に話しかけた。ここまでくると、案外、他人に興味を抱きやすいのだろうと思った。疲れて口が回りやすくなっていただけかもしれなかったけれど。
「長いんですか。タクシーの運転手?」
「もう15年くらいかな」
「長いですね。わたしの人生の半分より長い」
「はは(笑」
「運転、好きなんですか?」
「まあねー。昔っから。運転手の前は車屋だった。」
「車屋?修理とかする、町の自動車屋さんみたいな感じですか?」
「そうそう。友達の車をいじって速くしてあげたりねー。」
「へえー。」
とかそんな感じで、運転手と車の話題が盛り上がった。わたしが格安の中古BMW車がほしいと言ったら、BMWの中古はやめときなー、と注意されたり、軽自動車をどこまで速くできるか、なんていう、車屋さんをやってたからこそ分かることを教えてもらった。というか、昔話を聞かされていた、という方が正しかったかもしれない。
たぶん、この運転手さんの年齢は、60歳を超えていたとおもう。自営業の車屋の経営が、年でできなかったのかもしれない、あるいは、経営がうまくいかなかったのかもしれない。そういうところまでは聞けなかったけれど、今、タクシーの運転手をやっているということは、車屋を辞めたってことだ。
昔話には、必ずといっていいほど、「辞めた」話が出てくる。辛気臭くて、聞きたくないような話が多い。自慢したいのか、卑下したことを慰めてほしいのか、よくわからなかったりする。
だけど、この運転手さんの話は、そんな辛気臭さがまったくなかった。
運転手さんの運転は、荒くなく、適切なスピードで、軽やかに右折や左折を繰り返した。
好きなんだろうなあ、車。
辞めてないじゃん、車屋。
そんなことを思った。