”文章の正しい楽しみ方はわからない。
ただし、味わうことはできる。”
───黙劇の心の声より
そんなモットーでやっている黙劇です。おはこんにちばんは。
先日の文学フリマ(2024年12月1日)でいただいた本、「にゅ~冥土でんせつ!」。挿絵を寄稿させていただいた関係で献本をもらい、わーいと浮足立っているのもつかの間、もう半月が経ってしまいました。
内包されているすべての作品を紹介&感想を述べることができないので、著作者ごとに、好きな部分を抜粋してモグモグコメントしようと思います。もし嫌な方がいらしたら削除しますのでご容赦ください。また、文学や歌、詩における重要な知識や季語については脳みそ皆無ですので、ここもことわっておきます。
持っている人は再読してみてね。持ってない人は、買うきっかけにしてみてね。
(敬称略・目次順)
【短歌】
本当に死にたいのだが 柘榴 また明日にはどうか忘れてほしい
かみしの「ロラゼパム」より
かみしのさんの著作には光源的な光の描写が多く、それが好きな人は多いのではないでしょうか。私も好きなのですが、あえてここはこの歌にしました。
柘榴を起点に対称的になっているところがまずおもしろくて、「本当に死にたい」と「忘れてほしい」の間に柘榴がある。本当に死にたいのだがという持ちかけに、柘榴はどう答えているんでしょう?
私はなにも答えてないのかなと思う。ただその柘榴のつぶつぶとしたグロテスクな果実の中身に若干引いてしまうという思いがあって、「なんでもない」という意味で「忘れてほしい」と思ったのではないか。そう邪推すると、この柘榴の光景としてのイメージの冷淡さと対話する「こちら側」の突き放す感じが、柘榴との距離感を感じてよい。
柘榴はもちろん、切ってしまうと粒みたいなものがぎっちり入っていて引き返せないイメージがあり、切る前の柘榴は玉ねぎみたいな見た目をしているが赤く、危険な香りもする。柘榴と「本当」の言葉のキャッチボールがとてもおもしろい。
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すすきののROUND1でカルパスのUFOキャッチャーする いらんのに
岩倉曰「テナガエビの拍手」より
岩倉曰さんの歌に共通しているのは俯瞰要素があってカメラがやや遠いというところと、それへの感情を綴っているバランス感がおもしろいです。
ROUND1に限らず商業施設でやるUFOキャッチャーは確かにしてしまうよなあ。この歌で気になったのは、はたして複数人でやっているのか、ひとりでやっているのかというところで、記述がないので想像するしかないのですが、もしかするとこれはひとりできている...?
UFOキャッチャーをするの「する」はじぶん視点とも見れるし、他人が「決まってする」という意味にもとれるので、なんとも言えないのですが、見ているときの虚無感が「いらんのに」というところに現れているのと、本当に「いらん」という断言がその通りすぎる。
とにかくピカピカ光る透明なディスプレイに虚無感が映っているような気がしました。
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縄跳びの紐が当たればちぎれそうなくらい痛かったし、強いよ
藤波えりか「ベニマル」より
個人的には冬っぽさが痛覚として感じれていいなあと思いました。あと最後の「強いよ」が現在で、それまでの描写が過去なのも、その文頭からのグラデーションがとてもいい。縄跳びっていつやったんだろう?小学生のとき?なぜかみんな短パンで冬なのに足まるだしで縄跳びやってましたよね。そんな過去の痛みへの自信がパッと明るく出ているところもおもしろい。
あと強いの根拠がそれなのか、というところに健気さがあって好き。
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火を消すと想像よりも暗くなり火の点け方はもうわからない
深山睦美「冬の国」より
これは「火は消したらそりゃ暗くなるよね~」と当たり前な感じがするのですが、ここのポイントは他に光源がないということです。
また点いている火を消そうとする行動と点けようとする行動を前提としていて、日常の回転する感じ(?)が途端に失われていく様子がうかがえます。
「もうわからない」の「もう」が少し投げやりな感じがして、傍観すらしつつある光景が思い浮かびます。「暗くなり」の目の前の光景から自身の「わからない」に直結する感じがいいですね。
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自己憐憫に浸る時間も必要で漬物石の無骨な重さ
柳葉智史「なくなる日」より
時間の必要さを漬物石にたとえていると思うんですが、自己憐憫を重さで表現しているところがいいなと思いました。漬物石の重さで、自己憐憫をギューっと押さえつけていて、その時間の残酷さがキツさをましましにしています。
その時間が必要なことはわかっている、わかっているんだが、という俯瞰と漬物石の無骨さが重なっていて余計に沈殿する光景が浮かびます。
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目合(まぐわ)えば我らあめえば色たちなべて残像ただの重なり
おしまい「肉体の門」より
肉体とセックスに関する歌が多く、どれもよかったのですが、悩んで、これがいいなあと思いました。
テレビをすごく近くで見ると、3原色が見れるじゃないですか、ああいう感覚を抱きました。もちろん距離がすっごく近いことで焦点が合わないで残像のように色が分解(というより版ズレのような光景)がして、パッと遠くからの物質的な「重なり」となっているわけですが、いいですね。人間も生き物だったら、あめえばだよなあ。
あめえば色の残像って、どんな光景なんだろう?すごくおもしろいです。
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方舟に置いてけぼりにされたから朝を歌ってカラ館とかで
アレノアザミ「間にある街」より
共通していえるのは、静寂を基本とし、そこに聞こえる音にスポットがあたっていて、ワンシーンへの緊張感が伝わってきます。
置いてけぼりにされたのは、電車の終電であり、電車はべつに置いてけぼりにした思いはなく、そこに「もういいや」という諦めでなくカラオケしようぜという「ノリ」が感じられていいですね。朝を歌うとはなんなんだろう?と考えると、朝までの歌たちの音なのかなとも。
友達なのか恋人なのか、その人への信頼感もうかがえます。
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イミテーションウェポン独占この朝のすべて抱える上澄みの青
精神外傷ちゃん「晩秋、なみだ日和のころ」より
肉体関係のべっとりめの歌が多いなか、この歌がすごく映えていて、すぐ目につきました。イミテーションウェポンは装甲車の上に出れる部分の総称だと思うんですが、上半分の解放感が感じてすごい好きです。冬の朝なんでしょうか、青の上澄み感がよく想像できます。逆に下半分は独占できない、動けなかったような雰囲気もにおわせているので、おもしろい。イミテーションウェポンは兵器なので、そういう戦わなくちゃいけない雰囲気とともにポップさ、すがすがしさがあってよいです。
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飽きたって口に出したら終わりだよ円環ぶるのはいつだってきみ
夜空「スポンジ」より
この対話には直線と円というふたつがあって、終わりがある直線と、何度飽きてもどうにかなるだろうという円があるような気がしました。これが会話だけで交錯しているのですごいおもしろい。
あとなぜかまどマギを思い出しました。あれも直線(キュゥべえ)と円(まどか)の話で、、、長くなるからやめておこう...。
「終わりだよ」と言っている側が円環について飽きているのかなと一見思うんですが、あきらめるなよと言っているようにも見えます。やり直せない現実を知っている側の冷たく聞こえてしまうような言いぐさがありつつ、期待感がある。その期待感を「きみ」というキャラクターへ集約させているところがよいですね~という気持ちになってしまいました。
・・・
3,000字をこえてしまったので、
以降の【feature】【詩】【全体を通して】は、
また後日書きます。
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