黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

新聞の思い出

 

 新聞を読んでいる人は、今どれくらいいるんだろう?

 私が初めて新聞を認識したのは、たぶん6歳くらいだと思う。丸めて筒状にし、父や母とチャンバラをしていた。そんな遊び道具も、よく見れば生活の中に溶け込んでいた。雨の日の靴に丸めていれたり、爪を切る父の足元に敷かれていたり、揚げ物の油取りになっていたり、生ゴミを包むゴミ袋になっていたり。たまにゴキブリと格闘することがあり、母から「こうすれば新聞が固くなる」と精密な巻き方を教えてもらったりした。

 時は経ち、私は高校生になっていた。父親から、センター試験に出るから新聞を読めと言われ、社説のところだけは毎日読んでいた。食い入るように見ていたのは、社説なんかではなく、テレビの番組欄だった。お笑い番組や、音楽番組、ドキュメンタリー、週末は映画をチェックするときもあった。

 またまた時が経ち、私は社会人になった。一人暮らしを始め、テレビのない生活。もちろん新聞もとらなかった。定期購読などバカバカしい。今やネットの時代である、とたかをくくり、パソコンばかり見ていた。ネットニュースは短い本文で、端的で、もっと読もうとするとお金がかかると広告が出る。これまたバカバカしい。ニュースなどネットニュースの見出しだけで、十分だと、そういう暮らしを続けてきた。

 たまたま職場で、新聞をもらう。せっかくだし読んでみるかと広がると、意外とデカい。文字がたくさん。右端から左端へ、さっと読む。気になった記事は熟読する。

 良い暇つぶしになるなあと思いつく。社会人になって新聞を読めと言われるものの、実際に読んでいる人はどれくらいいることか。職場で背を丸めて読んでいると、カンシンカンシン、などとオジサマが言ってくる。私なりのサボり方なのだが、微妙に高評価なので、まあいいか。

 客先と打ち合わせをしているとき、ふと新聞記事の内容を思い出したので話してみると、話題が客先の好きな話題だったのか、好印象だった。打ち合わせはもちろん、企画のとっかかりに使える、とも思った。

 気になった記事に付箋を貼って耳を出し、職場のデスクにキレイに積むと、なんだか仕事ができる人みたいじゃない?

 小さい頃の日曜日。私が好きなアニメを見ていると、リビングで父が珈琲を飲みながら新聞紙をめくる音を立てていた。それは実家の大切な生活音だったのだな、と今更ながら思い出したのだった。