こんばんは。
寒波到来。指先を揉む季節となりました。
嫌いな仕事がありますか。
そりゃありますとも。謝罪やら数字やら、どうにもならないプロジェクトをどうにかしなきゃいけないときだとか。
よく、「好きなことで生きていく」という人がいるけれど、どんな世界に生きているのだろう?と思いながら、なんだかんだ確定申告やら、人付き合いとか、新たな設備導入とか、嫌いなことをたくさんやっている気がする。好きじゃないことを、仕事ではやらなくちゃいけない。ユーチューバーのみなさんが無理やり商品をレポートしているようにも見える。
理不尽もある。自分が悪くないのに謝らなくちゃいけないときだとか、そういうのは必ずあるものだ。
納得して仕事をするのは、納得が天から降ってくるのではなくて、自分で「ああ、こういうことなのだな」と思いながらやるしかない。おもしろくない?そう、仕事は「おもしろくなんてない!」
それでも、食わず嫌いのような仕事の仕方は、なんかもっとつまらない気がする。
大企業に勤めていて、毎日決まったことをして毎日がつまらないんだ、という人はしょうがないのかもしれないけど、仕事の範疇は、だいたい決まっていないことが多い。「なんで私が」なんてことはしょっちゅうある。部署の横断化、縦割りの排除が叫ばれるなか、そんなのは日常茶飯事なことだったりする。
そのときにやってみようと思うか、やらないのか、それは自分のコンディションにもよるだろう。
ただ、そこで「嫌いだから」という感情を優先させるのは、どうなんだろう?
「嫌いだから」で目の前の仕事を選ぶと、感情的にしか仕事ができなくなる。
残念ながら、感情というものは、科学で解明されているかわかならないけれど、泥沼のように深く、ときに沸騰する液状のもので、両足を突っ込んだら最後、「足をとられる」のだと思う。
単調な仕事しかやらなくなる→単調な仕事しかふられなくなる→つまらないという風に。
最初からつまらない仕事を、もっとつまらなくしている。
寿司屋に行って、「うに!」と言って、店主が「うには嫌いだから握りません!」なんていう寿司屋には、もう行かない。他人から見れば、そんな簡単なコミュニケーションで人へ見切りをつけてしまう。
その仕事、「嫌い」でもいいと思う。それでもやれる、折りあえる人は、なんか強いなーと思う(小並)。あと、大人って感じ。
それができなければ、なるべく早くやめた方がいい。時間がもったいないもの。