黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

缶の中に詰まっているストーリーの空気・係数 解説「缶をあけるとき」

                        

 

 本書は煙草の存在感が実に大きい。「煙」という文字が五十回以上出てくる。それほど主人公の金羽にとって、煙草はなくてはならないものなのだ。しかし、金羽の生きる世界では、煙草を吸わない人に生活スタイルを合わせなければならず、家族の前でさえ安心して煙草が吸えない。そのため、主人公を「シャチ」と呼ぶ女性、ラクダは同じ喫煙者として唯一気兼ねなく煙草が吸える相手だ。

 ラクダはその見た目にも興味をそそられるが、何より彼女の物言いや行動力が魅力的である。

 そんな主人公とラクダが酒を飲んでいるとき、一本の電話が入る。あまりにも急すぎるその知らせに、物語は急発進したバイクさながらにスピード感が増していく。

 さて、私が思うに、この小説のミソとなるのはタイトルの「缶」だ。この「缶」がどのような働きをしているのか。本書を一文字ずつ追うだけでは、到底著者の思惑には気付けない。初めだけ読んでも足りないし、終わりだけ読んでも惜しいのだ。著者は、小説全体を使ってこれを表現していると私は思う。

 1~6の場面で構成されている本書は、一万字ほどで書き上げられている短編だ。

 1では母が登場し、2ではラクダとの軽快な掛け合いが入る。3では主人公が社会人になり、4では祖母の家で古書に触れる。5で主人公がラクダと酒を飲んでいると電話が入り、6で一気に空気が変わる。どの場面でも共通すること。それは、次のシーンを求めて読み進めていくと、大きく場面転換がなされているということだ。6に至っては物語が終わり、もうページが無いのである…!

 1~6のどの場面においても、まだ主人公の物語は続いていて、生き続けている途中である。

 6の終盤、何かを発散したくなった主人公が衝動的にチューハイの缶をあけるシーン。「缶」をあけた主人公は、どこか投げやりになっているようにも見える。

 それでも明日はやってくる。どのような状況であっても、主人公の人生は続いていくのだ。

 なにもかも途中に感じられ、そのなにもかもを終わらせたいと思っている主人公にとって、「缶をあけること」は、父のいないこれからの日々へ歩みを進めるスタートを切ったと言えるのではないだろうか。

 この小説は、そんな主人公の人生の途中を、少しの重力と少しの影を与えて描かれている作品だと思う。

 

 

  (係数)