最近、道草してますか。
バイクに乗って、ちょっと遠くのコンビニで肉まんを食べている時、これは道草なのでは?と思った。道草といえば、たとえば塾に行った帰り、まっすぐ家に帰らず、コンビニで雑誌をめくったり、ホットスナックにかじりつくとか、そんなもの。
道草、最近していない。
目的があって、それまでの最短距離をめざして、がむしゃらにがんばる。これが合理的な考え方。無駄をはぶく。
これは最近の考え方によっては、もっとも素晴らしい考え方であり、ミニマリストの考え方なんかも、無駄をはぶくことからの単純化だなーと。ビジネスでも推奨されているような気がする。
しかしこの推奨されず叱られるような道草というやつ、かなりおもしろいのである。目的と外れるのは良いこととは言えないけれど、ゆっくりできたり、現実逃避できたり、考えるきっかけを与えてくれたりする。気分転換ともいうかも。散歩なんかも、おんなじ意味がある気がする。
道草という漢字を見てみると、道の草と書く。道中に生えている草を見る意味なのだろーか。よく起源は知らないが、けっこう平和な日本語である。夏目漱石が使ってそうだ。原稿が書けず、東京の上野公園で道草している夏目漱石なんて想像しやすい。「書けねー。お、蓮キレイじゃん」とか言いながらさ。
ちょっと壮大な話をすると、人生の目的がもし存在しないのであれば、人生は道草そのものなのではないか、と思ったりする。人生の目的、ときどきで変わってしまうし、思い描いていた夢(目的)を叶えられなかった人は、堕落者なのではなくて、道中の草に気をとられていた、なんて考えられないだろうか。
道草、なんておだやかなの。