ボケーっとしていると、時間だけが過ぎていく。時間が過ぎていく焦燥感は、何にも代えがたい悪い意味のゾワゾワ感がある。日は、落ちてはのぼり、のぼっては落ちていく。
鬱は脳のケガのようなものだ、とクリニックの医者が言った。私の場合はケガの度合いでいくと捻挫のようなもので、これ以上ダッシュしたり、走り続けたりすると骨折する。そんな軽度の鬱らしい。確かに捻挫したら、走れない。捻挫を治すためには、安静にすることが一番とのこと。
安静にするには、ボーッとしなきゃいけないのだけど、これは簡単。とにかく思考のスイッチを切りまくる。オフ。オフ。オフ。
ただ、まったく考えないということは、できない。生活をしている以上、ゴミを出さなきゃいけないし、今からお米を炊くといつ食べられるかとか、考えなきゃいけないことはある。
考えすぎないことだよねえ、と肘をつきながら思うわけだけど、これがまた難しい。
考えすぎないということは、たぶん、考える範囲を拡大する必要がないということなんだと思う。
たとえば、Aのことを考えるとき、「Aの次がBで次がC」とまで考えなくていいってこと。
Aは、最初という意味にもなって、「エー」と発音し、上にむかってとんがってるな、ということで考えることは終わり。
地球のことを考えると、そこには何億人もの人たちの生活があるけれど、海と陸がある、というだけでいい。生物がいる、大気がある、というだけでいいんだと思う。
そんなガバガバなフィルターでいいのか!?
考えすぎ【ない】という遮断の仕方を、みなさんはどう考えているんでしょう?