バイクは自由で、ガソリンくさくて、危なくて、速くて、そして孤独な乗り物だった。
社会人になって、一番最初の大きな買い物は、バイクだった。趣味という趣味もなく、ツーリングに行く社会人の真似事をして、その自由さに惹かれ、250ccのフルカウルを買った。フルカウルのバイクというのは、レーシーな見た目をしていて、それでも250ccという可愛さもあり、軽くて楽しい、そんなバイクだった。
途中で、バイクというものの醍醐味は、音だ、と思った。カタナ400を買った。
4気筒の耽美な排気音に酔いしれた。
峠のカーブで、対向車がはみ出してきて危ないところだったこともあった。それでもたまに行く峠で、自分の命を捨てている感覚がたまらなかった。なにかあれば一瞬で死ねる。そんなときに腰のあたりがブルッと震える。気合が入る。
高速道路で調子に乗って、とある速度を出したこともあった。まわりで走っている車がおもちゃのように止まって見えた。首都高なんかでは、カーブの連続で、ほんとに死んじゃうんじゃないかって、思った。
渋滞する東名高速道路の表示板が真っ赤だ、と缶コーヒーをすする、海老名サービスエリアでの夕陽。そして疲れた表情をした他のバイク乗りたち。もっと走れるぞと言わんばかりにたたずむ黒々としたバイクたち。
バイクのある生活っていうと、キャンプとかをイメージする人がいるけれど、私の場合は、死と、現実とから逃げることだった。バイクに乗っているときは、何も考えなくていい。道路の白線がただ伸びている中を、風をきって突き進むだけだ。余計なことを考えなくていい。
趣味とは、意味のないことだと思う。
そういう意味では、バイクは本当に意味がない乗り物だ。人もモノも載らない。燃費は悪い。事故したら死ぬ。管理はめんどくさい。街には専用の駐車場もない。実用的とは程遠い。
でもあの、加速感と危機感、そして時速100キロの風を、一生忘れない。
今はちょっとだけ休むよ。ありがとう。