とある社員が転職したい・・・というハナシを人づてに聞いた。
またこれか。引き止める気力よりも勝るのが、疲労感である。
まるで次々と起こる殺人事件に追われる刑事のようなため息が出る。
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転職、すればいいじゃない。やってみなさいよ。と、私の本音はあるのだが、他の場所があたかも「天職」のような言い方をしているのが、なんとも気に食わないのである。
天職だと言われている人は、だいたいメディアに出ていて、輝かしい来歴とともに、膨大な努力が映し出される。だいたい、この努力が自分にもできるんじゃないかと思ってしまう人が、悲しいかな夢を抱いてしまう。
考え方が歪んでいると思うかもしれないけれど、目の前のことを天職だと思えないようでは、その「天職」とやらについたとき、同じ目の前のことが発生した場合、どうするというのだろう?天職だから割り切ってできるのだろうか?
モチベーションは人によって違うので、何を犠牲にして、何を得ようとするかは、もうその人の人生である。大いにやってほしい。だけれど、世の中で天職についている人は、自分で天職だと思ってやっている人もいれば、しかたなしにやっている人もいることを知っているのだろうか?
残念ながら、今をないがしろにして夢を語る人は、他人を知らない人が多い。他人というより、いろんな人のリアルな人生。私がどれだけ知っているかはわからないけれど、そういう人生の「ケース」をみていると、その難しさや、自分にできることの範囲が見えてくるのは確かだ。
萎縮せよ、と言っているわけではなくて、身の程を知れ、と言いたい。その上で天職に羽ばたくなら、どうぞ羽ばたいてみてください。
今は、転職ブーム。転職した人の情報はたくさん入ってくる。
では天職についた人はどれだけいるんだろう・・・?
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事件現場で、あーあ、と、
死体にかかったビニールシートをめくる刑事みたいなことは、
したくないのだが。