黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

時間割り、という考え方

 

 小学生のころ、時間割りってありましたよね。

 国語、算数、理科、社会、体育。

 なんとなーく、やらなきゃいけない科目としてありましたけど、

 でもこれってすごく合理的だなーと思いました。

 

 この土日は、めちゃくちゃダラダラしていた。昼まで寝て、お米炊いて、バイクでどこかへ行きたい気持ちを抑えて、お布団のなかで寝たり起きたりをくり返えしていた。たまにペンタブいじったりして。唐突に運動不足を感じた私は、タイマーを持ってランニングへ。幹線道路沿いにある公園では、自粛であるはずなのに、ボールで遊ぶファミリーがたくさんいたのを横目に。

 家に帰るなり、ランニングで疲れた体を癒すべく、またダラダラした。もう溶けそうである。山に私が放置されていたら、まっさきにキノコが生えていただろう。要するに腐っていた。

 我に帰る。ハイライトのメンソールをスパーっと吸って、白湯を飲む。こういう気持ちの切り替えのときは、煙草が使える。ぷよぷよが、テトリスみたいに角ばって、整理される感じ。

 今は、仕事とプライベートの二つのチャンネルしかない気持ちだった。

 仕事して、家に帰ればグータラ。これでいいのだろうか?とこの間何回も考えている。

 確かに漠然とした自由な時間のなかで浮ついているのもいいのだが、だんだん、何かを得たい、という気持ちが出てくる。やりたいことが出てくる。でもバイクでどこかへ行きたい気持ちは、自粛という二文字でブレーキがかかる。

 そもそも休日に何ができるか、すこし考えてみた。

 筋トレ、ランニング、人に会う、バイクに乗る、小説を書く、絵を描く、ゲームをする、ツイッターをする、部屋を片付ける、食事をつくる、洗濯する、音楽を聴く、支払いをする、ゴミをまとめる、知らない街に行く、読書する、、。

 とりあえずこれだけで授業でいうと16科目。ひとりでできることは「人に会う」以外の15科目。ひとつの科目だけで30分やるとすれば、450分=7.5時間。もちろん科目によっては30分で終わらないものもあるから、1日とはあっという間だ。

 

 

 で、なんでダラダラしてるの・・・?

 1日でやる時間割りを作れていないからだと思った。時間で区切ると仕事っぽくなっちゃっていやだなーって思うのは確かなのだけど、あってもいい。それでもダラダラしたいときはあるけれど。

 

 ダラダラする時間も決めたほうがいいかもねえ。

 

 小学生のとき、なんであんな何種類もの科目を6年間もやってたのか、やれていたのかと考え直すと、時間割だなーって思うのです。

 

 時間割に縛られない放課後っていうのも、新鮮な考え方だよねー。