ドラッカーのマネジメント 第3章「仕事と人間」を読んで思ったこと
ごにょごにょと読んでいる。
ドラッカーって「野球部の~」が流行ってからというもの、みんな読んでいたっぽい。
どうでもいいけど、ドラッカーって、字面が変な薬物っぽいよね。
第3章 仕事と人間
という章は、当たり前のようでいて、そうなんだよなーと思うことが多かったので、フレーズを引用しながらコメントしていきたい。
自己実現の第一歩は、仕事を生産的なものにすることである。
自己実現っていう言い回し、とてもうさんくさい。
ああ「経営本」っぽいなーとおもいながら、がまんして読みすすめる。
生産性、生産性と、耳にタコができるくらい言われるけれど、具体的にはこんなことらしい。
生産性に必要なもの
- 分析である。仕事に必要な作業と手順と道具を知らなければならない。
- 総合である。作業を集めプロセスとして編成しなければならない。
- 管理である。仕事のプロセスのなかに、方向づけ、質と量、基準と例外についての管理手段を組み込まなければならない
- 道具である。
当たり前だ。と言いたいけれど、これらすべてをできているかと言われれば、できていないのが現状だ。
分析しておしまいになっちゃったり、総合だけして管理があいまいだったり。管理していても道具が不十分でボツになったり。耳が痛いというより、頭が痛くなってくる。
で、これらが大原則なんだそうだ。
その上でこの世にミジンコのごとく溢れかえっているハウツー本に、渾身の一撃をあたえるフレーズを見つける。
方法論というものに限界があることは言うまでもない。
そういえば、100冊のハウツー本を実践してみた、なんていう記事がネットにあったっけ。方法論は便利だけど、やること追いすぎてなんのためにやっているのかわからなくなっちゃうよね。目的と手段が~みたいな。
12 人と労働のマネジメント
ここでは心理学的なマネジメント方法をドラッカーがボロクソに言う。
人は弱く、病み、自らの面倒を見られない。
せやな。
心理学によって人を支配し操作することは、知識の自殺である。
ドラッカーさん、けっこう過激な言い回しをする。たとえがストレートでいい。
「心理学的に○○だから~」という根拠が許せないらしく、
「職場の現実は違う!」とドラッカーおじさんは激おこなのである。
具体的に何に激おこなのかというと、心理学を利用して人を支配して仕事をしようとするスタンスに激おこ。
仕事のうえの人間関係は、尊敬を基礎に置かなければならない。これに対し心理的支配は、根本において人をばかにしている。
確かに仕事のなかで「支配しよう」とする人、いますよね。
13 責任と保証
ここでは「じゃあどうやって仕事任せればいいのよ」といったところ。
働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。そのためには、
- 生産的な仕事(基礎的な情報、道具)
- フィードバック情報(自己管理)
- 継続学習(他の専門分野の経験、問題、ニーズに接し、かつ自らの知識と情報を他の分野に適応)
が必要なようだ。
働きがいって、いまや働くほうが持っているべき感じがするけれど、
働きがいの与え方って発想を持っている経営者はどれだけいるんだろうか。
内定辞退しまくる就活事情なんかみても、働く側の「働きがい」に企業側はあぐらかいてたんだろうなー。
そして、クリエイティブ(笑)を振りかざし、働く側を軽視する経営者にも一喝する。
仕事を生産的なものにするうえで独創性に期待することは夢想である。必要なものは、実際に働く者の知識と技術である。彼らこそ唯一の専門家である。仕事とは総合的なものである。
働く側の問題もあるじゃない?性格がどうとか、仕事のでき具合、人間関係とかで、職場がギスギスすること。これも、スルーはできない問題として、こんなことを言っている。
人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。
中和はいい妥協点だとおもう。
人間関係でも、正解や解決しようとするから、疲弊するし、
余計めんどくさい状況を作り出すもんね。
あー、やだやだ。
あくまで生産性を念頭において、人間関係も考えたいものだ。
あくまで、中和をボーダーにしてね。
とりあえずここまでだけど、
「生産性」「生産性」うるさい人は、ドラッカーを最近読んだんだなーと
おおらかに受け止められるようになりました。
で、どこの生産性のこと?ってね。
P・F・ドラッカー 著 上田淳生 訳
「マネジメント 基本と原則 エッセンシャル版」
ダイヤモンド社 2001年