黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

やりがいとは、なんだ。なんなんだ。

 

 気がつけば休暇のメールを打ち、上司からの電話とメールを無視しながら今日を過ごした。

 見るのは天井と毛布のごわごわとした毛先だけで、食事もせず、煙草と珈琲ばかり口に入れていた。

 

 6人いた私の部署の人間が、わけあって3人消えた。当然、業務量は変わらず、給料も変わらず、忙殺される日々を送っている。実質、2人分の仕事をしている。時間は倍になったりしないし、給料も変わらない(2回目)。

 そういう日々が続き、やってられん、とおもった。朝の気だるさもあって今日は布団にこもることにしたのだった。

 

 youtube朝まで生テレビ田原総一郎さんが司会をする、コメンテーターの意見がバカみたいに垂れ流される、あれを見ていた。テーマはAI時代。えーあいとかいうやつが、日本を幸せにするのか、という設定で、議論のドッチボールが交わされていた。

 途中、日本の教育が悪いとか、貧困を解決するとか、文字を書かなくなるとか、そういう話になっていく。筑波大学の落合陽一さんは、コンピューターが瞬時に答えを導いてくれることで無駄な考えを省くことを「条件反射で」とか言っていた。

 そして、仕事にもエーアイが導入されれば、効率化され、考える時間が増えるのだという。そんなエーアイが私の職場に浸透するのはいつになるのだろう…。まあいいいや。

 

 エーアイが導入されるまでもなく、ある程度私たちの仕事は自動化されている、たとえば社長や幹部が用意した方程式を使って、クライアントにささるものをあらかじめ用意され、従業員はそれをつかってクライアントの窓口になったり、サンドバックになったりする。

 

 あまり考えたくないのだが、仕事とは、クライアントのねがいをカタチにして、対価を得ることだ。ねがいをきくことも大変だし、カタチにするのもいちいち大変だ。やってられない。しかし最近の風潮として、同じ型式のパッケージ商品は売れない、なにが売れるかというと、おきゃくさまひとりひとりにスポットをあててどうのこうの、である。正直、やってられないのである。やること多すぎなのである。ばか。

 

 社会人寓話「ぐちとぐだ」になり、youtubeをみるのもやめ、画像投稿サイトをスクロールする。宮崎駿さんの風立ちぬのエピソード解説みたいなものを、漫画にしたものがあった。監督自ら描いていたもの。映画はだいぶ前にみたな。

 そこでは主人公、堀越二郎がクライアントの日本海軍から無茶な注文をうけ、ゼロ戦を作るエピソードだった。当然、本人が直に日本海軍から受注したわけでなく、会社が受注し、その上司が「おれには無理だ。おまえやれ」となっての仕事であった。

 

 あー。

 

 つまりよくあるのである。残念ながらベテランとよばれる人は「自分のやり方でベテラン」なのであって、ベテランをぶちぬいていくクライアントの注文だとか他社は時が進むにつれて出てきてしまうのだ。技術職ならなおさら。

 ベテランが幹部になると現場のことはよくわからなくなるだろうし、社内の調整がメイン業務となる。そんな人に「新しいものをつくれ」と言われて人がいなければ、「若手へ期待」となる。

 

はー、である。じぶんがやれ。

 

 

 しかし、堀越二郎は仕事をした。家に帰り、構想を練り、せまい部屋のなかであぐらをかきながらうんうん考えて、鉛筆を走らせる。

 

 ここまで「ぐちとぐだ」だった私は、この仕事をする堀越二郎をかっこいいとおもった。ゼロ戦をつくったという名誉から「かっこいい」とおもったのではなく、机にむかってうんうんしている光景に。

 

 わたしは最近、この堀越二郎のようにうんうんしているだろうか、と反省した。嫌だからといって、休んで(たまには休むのも良いことだとわかっているが)、もやもやしているじぶんはなんなのだ、とおもった。

 

 考えていないのだ。ちゃんと。仕事の中で。

 リスク回避の方程式だけいろんな部署から持ち出して、理屈をつけているに過ぎない。楽だが、とてもつまらない仕事のスタイルをとっていたのだ。しかもそれを青写真にせず、短絡的に、テキトーに横流ししていただけに過ぎない。

 

 やりがいとは、なんだろう。

 きっと、こういうところにもひそんでいるような気がするのだ。