黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

音楽をどこで体感するのか ー「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」 から

 

 人間の知覚では、聴覚は10%程度の知覚率らしい。もっとも配分が大きいのは視覚で、80%もあるらしい。感じることのほとんどを目から得ている。じゃあ、目をつぶれば聴覚が90%の配分になるのかしら。

 

 音楽は耳から入ってくるのは言うまでもない。が、そこから音楽がどう脳に作用しているのかがよくわからない。

 食べ物を食べて、おいしいと感じ、胃に入って消化される。では音楽は耳に入ってどう消化されるのだろう?

 音楽のわからなさ、というのは、自分にどう作用しているのかがわからないのだ。感情に訴えかけるのはもちろんその通りで、クラシックを聴けば優雅な気持ちに、ロックを聴けば元気に、というふうに漠然と感情の流れと一致、または合流されていく感覚がある。

 東京ミッドタウン(東京都港区)の敷地内にある21_21 DESIGN SIGHTというギャラリーで「音」の構成(アーキテクチャ)を展示する試みをしている。

 

www.2121designsight.jp

 

私たちが普段なにげなく親しんでいる音楽は、音色や音域、音量、リズムといった要素によって緻密にデザインされた構築物(アーキテクチャ)であると言えます。しかし日常の中でその成り立ちや構造について特別に意識する機会は少ないのではないでしょうか。(HPより)

 

 展示内容は、1曲が大音量でループ再生され、その曲に伴って各展示ブースで映像作品が動きだすというもの。映像作品はたった1曲の感じ方によって速度を演出したり、なめらかさ、有機的なドロドロさ、ユーモア、皮肉、住居などが、大型プロジェクタから映し出され、私たちに訴えかける。 

 中でも、大型トラックのコンテナほどの広さの壁面と地面に映像が流れ、自分の頭から足の先まで映像が映し出される。映像のなかにからだがどっぷり浸かって、心地よい音楽が耳を抜ける。聴覚の10%と視覚の80%は、展示によって占められる。

 HPの紹介文を今一度読み直すと、私は音楽のことをひとまとめに捉えすぎていたのかもしれない。1小節単位の感じ方があるのかもしれない、音になった瞬間の嬉しさもあるのかもしれない。展示はそういった音楽の分解して楽しむ方法を、映像を通して伝えたかったのかもしれない。そして、ひとつひとつの音が再び構成されて、心地よさへとつながってゆく。

 

 音楽は感情の部分と近いことがわかった。感情の速度に、音楽は並走してくれる。感情を押し上げるように煽ってくれることもあるし、並走して共感を催してくれる。

 

 けっこう近くまでくるやつなのだな、とおもう。音楽というやつは。