黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

無趣味になる(趣味っていったい何なのか)

 

 

 作家の村上龍は、趣味を持たないらしい。

 

わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリゾートのプールサイドで読書をしたりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とはいえない。

村上龍『無趣味のすすめ』幻冬社文庫2013)

 

 「趣味を持たない」というのは、おもしろいとおもう。好きなこと、やりたいことが、趣味である必要はないものね。

 

 

 ところで、趣味ってなんなのだろうか…。

 

 会社との面接なんかで、「趣味はなんですかー?」と聞かれて、あたりさわりのない答えを用意する。映画鑑賞ですとか、スキーですとか。そんなこと聞いて何になるのか、よくわからないけれど、とにかく趣味ということばはよく聞く。

 

 現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて完全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。

(同著)

 

 確かに、共同体にある趣味の世界は、感動が画一化されている気がする。なんちゃら愛好会とかの集団は、誰かが価値を決めていて、その価値の良さを教えたり教授するために入るものなのではないだろうか。もちろん楽しいし、良い時間だとおもう。これは、趣味というより、息抜きに近い。自分の知らないもの得たり出会ったりするインプットと同時に、アウトプットを他者に見てもらえる場がそこには用意されている。

 

 趣味は?なんてすごく使いやすいことばだけれど、好きなこと、やりたいことを仕事にしている人もいれば、好きなこと、やりたいことを息抜きにしている人もいる。

 

 ・仕事

 ・趣味

 ・息抜き

 

という3つがあるからなんか混乱する。

仕事は「どんなにつらくてもすべきもの」と固定され、趣味を持っていないと「頭でっかちでストレスの行き場がない」と思われ、息抜きをしていると「ちゃんと仕事してるのか」とつっこまれる。めんどくさいものだ。

 

 私の場合、仕事をしなくては生活できないので仕事はする。息抜きもしたい。

 

だから単純にこう考える。

・好きなこと・やりたいこと 

  → 仕事

  → 息抜き

 

趣味のことを考えると、共同体の価値観の都合に振り回されたり、息抜きと趣味が被って息抜こうにもできなかったりする。趣味は、なくてもいいのだとおもう。

 

「じぶんの趣味って何だろう?」を捨てると、今度は「好きな仕事できてるのか?」と振り返る余裕が出てくる。

 

世間体的な趣味に右往左往されることがなくなるからだ。