黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

考えないという休息

   大根をおろすように、脳も考えた分だけ擦り切れていく気がする。

   よく考えなさい、といわれ、よく考え、よく考えた末の結果はそんなに良い結果ではなく、またさらに考えなければならない。考えることは尽きない。どこまでも考えてしまうし、そこで苦しんでいる姿を、他人は訓練と言う。本当だろうか。

 

   朝、平日の昼間からパチンコ屋に並ぶ人たちがいた。暇なんだろうか、と少し蔑んだ思いで横切ったが、この人たちにとってパチンコは趣味でもなく、投資でもなく、暇つぶしでもなく、休息なんだろうなあ、と解釈した。銀の玉が鍵の間を落ちてゆく。運によって、タイミングによって、当たりが出る。

 

海が見たい、と私が思うのは、考えたくない、ということだと思った。

逃避は考えないことをもたらしてくれる。考えないことは、休息をもたらしてくれる。

何も考えず、勉強と部活をやり、学生生活を経て社会人となり、多くもなく少なくもない無難なお金をつかって生活をやっていく。豊かではないけど、自動的な生活のレールに乗っている。考えなくていい。考えなくて、いい。

 

ここまで書いて何が言いたいかよくわからなくなってきたけど、ともかく、考えないことは休息になる。休息が必要なときは考えなければいい。

 

しかし、考えないことは自動化と紙一重だとおもうのだ。