消耗は、悪いことなのだろうか。
そんな記事になっています。
「まだ●●で消耗してるの?」というフレーズがあるけれど、私もそれに惑わされていた1人だったかもしれない。
消耗は、いつも悪い意味で言われる。限りある体力、精神、願望、あらゆる資源が無くなっていくことを意味する。
でも、命って、消耗し続けてない?
命は必ず限りがある。今の医療技術では、少なくとも私が受けられる医療では、不老不死など夢のまた夢なのである。
それならば、消耗は、必然ではないか。生きることは、消耗ではないか。
私たちは、なんだかわからないけれど、消耗を嫌う。無駄とか、効率とか、そういう話題の範疇に入る。それはなんでなんだろう?
失うのは、誰もが怖い。得ていこうという人生のなかで、失うことに極端に恐れている気がする。それらはお金であったり、信用であったり、仕事であったり、恋愛であったり。
完璧に失うものがない、潔癖な人生は楽しいんだろうか?そこに、なんだか答えがある気がするのは、気のせいなんだろーか。
消耗は、している。どんなドラマがあるにせよ、肉体は消耗しているし、考え方も、他人も消耗していく。
そんな中で、何を補充し、何を変えていくか、そういう選択肢を用意してやってみることが、面白い気がする。
消耗は当たり前である、という当たり前の前提に立ったあと、どういう風景が見えるのか。