黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

好きだったお米が食べられなくなる話

 長い直線。小田原厚木道路だ。

 会社の車を走らせ、私は神奈川の西部へと向かった。風は少し強く、高速道路を走っていると、たまに車体が風を受けてきしんだ。

 富士山の山頂には雪が少し残ってはいたが、あの青い夏の富士山の姿に変わりつつあった。

 夏が来るのか、とハンドルを握りながら思う。

 

 打ち合わせ先の近くに、たまたま会社でお世話になった老人が住んでいたので寄ってみた。神奈川の西部を侮るなかれ。田んぼと山と、高速道路である。田舎の山あいに静岡へと伸びる道路が突き刺さっている。田んぼは健在である。さっきまで走っていた高速道路とは変わって、農道は弱々しいコンクリートで固められていた。ときたま、バッタのような虫が車に気づき、跳ねていた。

 

「昨年で稲作はやめました」

 

 毎年、懇意でくれていたお米は、昨年でおしまいだと言う。つまり今年作らないため、来年は食べれない。今年限りのお米だ。

 

 私は1週間ほど前に待ちきれず、メールを打った。食べたいので売ってください、といったメールだ。その返信で、来年はそのお米が食べれないことを知った。

 

 日本の昔の家造りであるお宅は、縁側があり、庭があり、黒ずんだ木の柱と、畳で構成されている。少し薄暗い玄関で、私は立ちすくむ。家屋の中は日陰で涼しい。

「いらっしゃい。昼過ぎじゃなかったっけ?」と言われ、予定が前倒しになったことを告げながら、居間に通される。

 

 出された麦茶を当たり前のように飲み、最近の話をする。猫は庭を横切り、客の存在に気づく。猫は隻眼だった。

 

 なぜお米を作らなくなったのか?と聞くと、年だし、家族も田んぼを見てくれないと答えてくれた。お米をもらっている身なので、ちゃちを入れることは野暮だと思い、そうですか、と静かに相槌をうった。

 

 車に5キロ程度のお米を積む。枕カバーのような袋にお米は入っており、ずっしり重い。

 それじゃあ、と言いかけたとき、あ、と思い出して、お米のお金は?と聞いたが、お金を取るためにやってない、と言われて私もそれ以上言わなかった。

 

東名高速はあっち」指をさされた方向を見ると、確かにストローのような物体が遠くに見える。

「それじゃ」と軽い会釈をした老人に頭を下げ、私は帰路へ車を走らせた。

 

 家に帰り、早速もらったお米を炊く。明日のお昼の分も、といつもより多めに米をすくい、炊飯ジャーのスイッチを入れた。

 

 炊けたお米はおいしい。小粒ながら弾力があり、甘すぎずさっぱりとしている。最近のお米は大粒が流行っているらしいが、粗雑で粋のある小粒のお米の方がおいしいと思う。これが米だ。

 

 家にお米があると安心できる。どんなに貧しくても、食いつなげることができる、という自信が湧いてくるからだ。借金してコンビニ飯を食べるより、私は卵かけごはんで貧しさを感じる方が断然良い。コンビニ飯なんかより、炊いたお米の方がおいしいからだ。

 

 誰かが何かを作っている。自分のまったく関係のない、ひょんな事情でそれは無くなったりする。

 

 何かを作れるってすごいことだよなあとしみじみ思う。

 1人の人間が作り続けられる期間は、なんて短い時間なんだろう?