黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

くたびれたその日でも


   仕事が終わったあとに求めるのは、なんらかの癒しだとおもう。プレッシャーと思考と行動で、疲労はたまる。家に帰り、日がまわりそうなとき、できることといったらお酒を飲んでリラックスするか、脳をとめて映画をみることくらいで、ツイッターやニュース記事を読んでいると、もう翌日になっており、そのままの意味で泣き寝入りする。

 

   今日はたまたま仕事がはやく終わり、新しいバイクのヘルメットを買って、店員と小気味良い会話を弾ませたあと、給油してガソリンで重くなった車体、そして新しいヘルメットといっしょに道を走った。

   

   そのとき考えていたのはなんでもない、家に帰って何をするかだった。久しぶりに残業も少なく家に帰ったときに、わたしはいったい何をするんだ?という疑問だった。なにをすればいいかわからない、という不安でもあった。早く帰れたといっても、いつものような疲労感はある。ちょっとだけ頭が回転するだけ。残業は思考力を奪う、というのを体感した。

 

   本を読むことにした。どんなに疲れていても、目を滑らせることはできる。ページをめくることはできる。活字の意味を拾うことはでき る。本棚にあって、買ってから読んでいない村 上龍のエッセイを読んだ。30分程度。

   

   疲れたから何かをやめるのは、なんだかもったいないなあとつくづく思う。それでも疲れていたらなにもできない。そうなんだけど、疲れたで1日をあきらめていいのだろうか、とおもった。最近1日がはやすぎるせいもあるし、露のような給与明細を見てもなにも可能性を感じ ない。


   いまのところお金は有限だけれど、時間は自分の使い方によってはもっとおもしろくできるんじゃないか、とおもうようにした。

 

   休日だけ待っていて今日がつまらないのは、嫌じゃない?