黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

仕事とあいまい

 

 「こんな日程じゃ無理だ」

 

 ディレクションを担当するわたしは、作業者の罵倒を浴びた。計画の申請書を出し、最終盤でのこの一言はわたしの頭の中を真っ白にした。

 

 作業には3日かかるという。それを2日の日程で申請したのが、あとになってわかったのだという。申請書は「無事」通ったあとだった。もちろんこの日程でクライアントも納得している。

 

 チームはわたしを入れて4人。この作業者は最後のセクションを担当する人だった。

 なぜ申請書を確認してなにも言ってこず、いまになってクレームをつけるのか不可解だったが、これも聞くことにした。

 

 ディレクションをするにあたり、知らない情報があった。これはわたしの責任だ。

 

 1、問題の作業日程が3日かかること

   前任ディレクターとの引き継ぎが不十分だった

 

 2、今回問題になった前のセクションの作業者のルール

   作業が早く終わっても、次の作業者とコンタクトせずあたためておくという謎ルールがあった

 

 このふたつ。

 だれかをうらむことはできない。だからといってわたしが罵倒されるのは不快だったが、これでもわたしの仕事はディレクションである。なんとか日程を調整し、作業者にも了承を得た。今後の日数や作業者間の新しいルールを提案した。

 

 「作業は大変なんだよ。現場はみんな忙しい」

 

 という捨て台詞を聞いた時に何かプッツンとしたものを感じた。

 

「忙しい?いま日程の話をしていたんですよね?」

 

 語気はけっこう強かったと思う。長年の「経験と感」で仕事を管理してきた人には「忙しい」の尺度がわかるかもしれないが、残念ながらその「経験と感」とやらを持ち合わせていない。というかその「経験と感」は血の繋がった肉親でさえ難しいというのは江戸幕府の将軍たちを学んでいればわかることなのだが日本史に触れたことがないのだろうか、山川出版のあのオレンジの日本史Bを開いたことがあるのだろうか。もちろん他人にもわかることはない。

 

 「忙しい」という言葉は他人にとって極めてあいまいである。そして感情的に自分を、そして他人を捻じ曲げようとする悪しき言葉である。

 

 「忙しい」のは、わかる。「大変」なのもわかる。この低賃金の世の中で景気もいいとは言えず、技術の進歩に応じて過密になっていくスケジュールに人の集中力がついていかないというのも、わかる。

 

 だからそれを日数という全生物共通の時間軸をもって表現し、無理のない日程を確認しあうのが、仕事をする、わたしたちじゃないか。

 

 なにかを具体的にしても、伝わらないときがある。しかしあいまいにしていては誰かに伝えることはできないし、次の計画につながらない原因となってしまう。

 

 頭をさげてどうにかなるとか、ディレクターだからとか、そういうあいまいで卑屈な態度はなにも進展しない。

 

 あいまいな部分をチームに伝え、解決策を淡々と行っていくしか、仕事は前に進まないのだから。