黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

ダサい

   ダサいを使えば何もかもひっくり返せる。

   ファッションでもアートでも、よく玄人が「ダサい」と発言することがある。けっこうなことだ。

   80年代や90年代の映像をYouTubeで見ていると、ダボダボのシャツがスボンにインされていたり、ちぢれたヘアースタイルが人気だったりしたらしい。今のファッションから考えるとナンセンスであり、ダサい。

   でもこれって、たとえば縄文時代の、鹿の皮を体に巻くのをダサいと言ってるようなもので、なんだか私は腑に落ちない。ダサいけど。当時は「カッコイイ」だった。

   ファッションがこうやって変わってきたのは、たぶん、「ダサい」という言葉で前世紀のファッションをアンチして新しいファッションを作ってきたのだとおもう。そう考えるとダサいという言葉も時代を作ってきたのだなあと。

   たしかにダサいは時代を新しくしてきた言葉だけど、私はなんだか人に言い放つのはためらいが出る。

 誰かのお気に入りを「ダサい」の一言で一蹴してしまうのは違う気がするから。心のなかでダサいとおもっていても、他人のお気に入りを踏みにじることはしたくないなあとおもう。

   「ダサい」と一蹴してた私の意見にはパワーがあるけれど、視野はめちゃくちゃ狭い。

    だから、

   「ダサいけど良いね」って言うのは、どう?