おじさんはなぜ粗雑なんだろう?
いや、おじさんでなくてもおばさんでも、老いていくとなぜ粗雑になっていくのだろう?
書類を放るとか、「要するに」しか言わなかったりとか、モノを音を立てて移動させるとか。
体が言うことをきかなくなるというのはあると思う。老いるなかで、コントロールが効きにくくなってくるから、動作が大まかになってしまうのかな。
決定的なのは焦りなんじゃないかなあ。
自分の人生の時間がもうない、ってなったときに、そういう細かいことを気にしてられない!という思いもあるのかも。
単純に「この方が合理的だ」と思っているからなのかもしれない。
おじさんやおばさんではないのでよくわからない。
名言っぽいことを言って得意気になってる人に「なぜ?」と聞くとあんまり答えてくれなかったりする。粗雑な知識を粗雑に言ってるだけだから。
ここまで書いてきて、ぞくっとすることがある。
「粗雑な知識を粗雑に言ってる」
これ、耳が痛い。完全に慢心だ。私も慢心バリバリヒューマンなときがあっていつも後悔する。
粗雑が痛快なときもある。でもこれはギャンブルみたいなもので、粗雑さをどうなるかわからない状態にするツールにすることもある。
こう書いてみると、案外、粗雑さも悪くないのかもしれない。
ちなみに私はB型なので、粗雑さの素質はあるとおもう。