黙劇プレゼンツ

ちょっぴりをたっぷり。

強烈な真剣さをどこに忘れてきたのか。

 

 

 

 日々をなんとなく過ごしている、のかもしれない。今日がクリスマスだから、というわけでもないけれど、じぶんのことを考える時間は、これまでつくってきたようで、つくってこれなかったかもしれない。資格の本の背表紙が、こっちを見ている。〇〇になる!とアジテーションする本も、こっちを見ている。

 

 とあるカメラマンと仕事をした。彼は非常に真剣で、私がディレクションした時間を最大限使って、良いショットを撮ろうと、「まだいけます!まだ撮ります!」と被写体のテンションを上げていく。現場は活気付き、実際に写真はクライアントに評価される。「このカメラマン、いい仕事するね」とクライアントは言う。

 わたしの仕事は、ディレクションであって、仕事の細部をどうこうするというところまで、手がまわらないのが現実だ。何本もある案件を回すことで、精一杯。

 わたしの仕事はなんなんだろうなーと、カメラマンへの評価が出たときに、思わず心の中でため息が出る。

 

 そして家に帰る。

 

 仕事に時間を抹殺される。家事を一通りやれば、集中力がもたないし、すぐ転がって、天を仰いでいる。血圧が足りなくて、横にならないと考えることができないのかもしれない。じぶんのなかのマグマみたいなものが、ことごとく枯れている気がする。気合いとか根性とか、そういうのが足りないのかもしれないが、なぜ気合いとか根性とかが足りないのか、少し考えてみた。

 

 真剣さかなー。

 

 学生時代、部活をやっているときも、受験勉強に打ち込んでいたときも、なにか真剣だった気がする。じぶんの人生のために、という、将来のわからない不安さから、真剣だった。必死というのも近いのかもしれない。

 

 仕事は、失敗しても、成功しても、なにもかわらないのが現状だ。うん千万の案件をコンペで失注したときも、わたしの給料は変わらないし、どんなにいいアイデアを出しても、給料は上がらないのだ。

 このままのっぺりとした、とてもフラットな状態で、たぶん老いていくのだと想像したら、本当に顔にシワなんて入るんだろうか。ぶよぶよとした、皮下脂肪のようなものでコーティングされた精神と肉体になっていって、なんてつまらないのだろう。

 

 どこで、真剣さがなくなっちゃったのかなーと、じぶんを寂しくおもう。

 あと、この真剣さは取り戻すべきものなのか、そもそも要らなかったものなのか、よくわからないのも、難点。

 ただ、真剣な人はかっこいいんだよなー。無我夢中ってやつはさ…。